2011年3月アーカイブ

現代の文明社会で生活を営むわたしたち。


いまや、印刷物やエプソン トナーは必要欠くことのできないものになっていますよね。


最近の科学技術の進歩とともに、印刷技術は目覚ましい発達を遂げてきました。


しかし、現在では、印刷、写真、複写、捺染などの技術がたがいに入り組んできて・・・


どこまでを印刷というべきか判断に苦しむ場合も生じています。


もともと印刷にも、写真の焼付けにも、捺染にも、PrintingとかPrintという言葉が使われているので、考え方によっては印刷という日本語にさほどこだわる必要がないかも知れません。


しかし、これから印刷インキを考えるうえにおいて、印刷という概念をはっきりさせておくことも必要です。


つぎに印刷の定義ともいうべきものを、少しだけ引用して見ましょう。


一般に、原稿に従って版を作り、これにインキを着け、圧力を加えて版の画線部を、多量に紙その他の面に移す技術。


これが印刷の定義ですね。

戦後の物資不足時代においては、出版グラビア印刷に亜硫酸パルプ廃液から作った水性インキが使われました。


しかし、その後はロジン系樹脂とトルオールが入手できるようになったため、溶剤型インキが週刊誌のグラビアページの印刷に大量に使われるようになりました。


1950(昭25)年ごろは、フレキソインキのビヒクルに同じくパルプ廃液がさかんに使われ、これから作った水性インキはセメントや小麦粉用のクラフト多層紙袋の印刷に用いられました。


・・・しかしこの水性インキは耐水性が悪いため、ロジンマレイン酸樹脂などを固着剤とする水性フレキソインキへと切り替わっていったのです。


日本経済の高度成長に支えられて、1973(昭48)年までは印刷インキの需要はGNPとともに順調に伸長しました。


しかし、石油ショックの影響を被って1974(昭49)~75(昭50)年にかけて需要が落ち込み、1979(昭54)年になって、やっと生産量が1973(昭48)年の水準を上回ることができました。


いまや生産量ではアメリカに次いで世界第2位の日本の印刷インキ業界。


エプソンによるトナーカートリッジの生産量も増えています。


この業界では、省資源、省エネルギー、無公害化などの社会的使命を果たしつつ、印刷の高速化、高品質化、多様化などの要請にこたえるため・・・


今後も懸命な研究開発がインキ関係者によって続けられてゆくでしょう。

戦後間もなく、良質の紙に光沢のある鮮やかな色で印刷されたアメリカの雑誌や包装に接した印刷関係者。


彼らは、彼我の物力と技術力の格差を強烈に認めるところとなりました。


そこで、東洋インキが1951(昭26)年に、アメリカのインターケミカル社のインキ部門と技術提携したのをはじめとし・・・


大日本インキは合成樹脂メーカーのライヒホールド社およびインキメーカーのサンケミカル社と。


大日本色材はシンクレア・バレンタイン社と提携して、アメリカの印刷インキおよび原材料に関する技術を吸収し、日本の印刷市場に適合する製品をつぎつぎと作り出していきました。


平版および凸版用のインキでは、1953(昭28)年ごろよりアマニ油型インキから合成樹脂型インキへの移行が始まり、速乾型のクイックセットインキ、強光沢のグロスインキが普及。


つづいてオフ輪時代へ入るやヒートセツトインキが使われるようになりました。


このとき、まだエプソン トナーは発売されていません。


高分子化学工業の発達によって、各種のプラスチックフィルムや合成樹脂が市場に出回るようになったため、1953(昭28)年ごろより塩ビフィルムへのグラビア印刷が行われるようになりました。


つづいてポリエチレン、ポリプロピレン、防湿セロハン、ポリエステル、ビニロン、塩化ビニリデン、ナイロン、ポリスチレンなどのプラスチックフィルムへの印刷に多種多様のグラビアインキが使われるようになったのです。


1880年代以降、自家生産および輸入販売の印刷インキ業者がつぎつぎと現われました。


現在、トナーカートリッジなどを扱うインキ会社の源を探ると、その当時すでに創業していた会社も多いのです。


1883(明治16)年山本栄次郎商店一→山本インキ(株)


1891(明治24)年諸星千代吉商店一→諸星インキ(株)


1895(明治28)年三木雄蔵商店一→大阪印刷インキ製造(株)


1896(明治29)年阪田商会一→(株)阪田商会


1898(明治31)年赤堀インキ製造所一→帝国インキ製造(株)


1899(明治32)年小林商店一→東洋インキ製造(株)


1908(明治41)年川村インキ製造所一→大日本インキ化学工業(株)


吉川商店一→内外インキ製造(株)


1916(大正5)年日本油脂工業所一→東京インキ(株)


・・・20世紀に入ってから印刷インキ業界は、第1次世界大戦のぼっ発により、原材料および製品の輸入が途絶して悩まされ、第2次大戦中およびその前後には、統制経済下での物資不足をはじめとするいくたの苦難を経験しました。


日本では、764~70年ごろ百万塔陀羅尼が印刷されているので、日本の印刷インキの歴史を、その頃までさかのぼって考えることも必要です。


 中国の木版印刷術は、中央アジア、エジプト、ペルシャへ伝わり、さらに西進して14世紀にはヨーロッパへ伝播しています。


それに伴い油煙とアマニ油を混ぜて作った油性インキが使われ始めました。


グーテンベルクが1445年ごろ、活版術を発明してから油性インキはひろく使用されるようになりました。


そして、18世紀末にセネフェルダーによって発明された石版印刷にも、この油性インキが容易に応用されるところとなりました。


19世紀末にカール・クリッチェが発明したグラビア印刷には、テレピン油、揮発油、キシロールなどの揮発性溶剤に、樹脂やアスファルトを溶かし、これから作ったグラビアインキが使われました。


日本で洋式の印刷インキを作り始めたのは、政府が1872(明治5)年、紙幣寮(後の大蔵省印刷局)内に製肉課を設け、アメリカ人技師トーマス・アンチセルを招いてインキ製造技術の指導を仰いでからです。


今多くの人に使われているエプソン トナーのようなカートリッジが出来るのは、このずっと後のことですね。



こんにちは。


 今日からブログをはじめます。


ここでは文房具にまつわるいろいろな話や、おすすめのトナーカートリッジなどを紹介していきたいと思っています。


 どうぞよろしくお願いいたします!


まずはじめに、印刷インキの歴史について書いていきたいと思います。


印刷インキは、一般には印刷術と同時に誕生したものと考えられていますが・・・


墨その他の筆記用着色材を用いて筆写が行われていたのは、印刷術発明以前のことです。


紀元前2500年ごろから、古代エジプト人はナイル川のほとりに繁茂するパピルスから紙を作り、これに書画をかいていました。


その時代に用いられたインキは、動植物から作った炭素顔料に、ニカワまたは油ワニスを混ぜて作ったものといわれており、現在の印刷インキの原形といってもよいでしょう。


中国では、105年ごろ察倫(さいりん)によって製紙術が発明され、それに伴って製墨術が発達。


400年にはすすをニカワで固めて作った板墨が使われており、740~50年には墨を用いての木版による文字印刷が始まりました。